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  • [バルダーズゲート3&ゼルダの伝説 王国の涙] -自由を語る二人の覇者
    日本語訳/ゲームコンテンツ 2024. 10. 16. 23:12

    https://youtu.be/dM67giyUBA8?si=eYmKk2NQihWQZPUN

     

     ゲームが好きな方なら、今年のゲームオブザイヤー(G.O.T.Y)の結果がすでにどうなったかご存知でしょう。大多数の意見では1位が【バルダーズゲート3(以下、バルゲ3)】、2位が【ゼルダの伝説 - 王国の涙 -(以下、王涙)】という感じですね。正直、どちらも優劣をつけるのは難しいですが、バルゲ3の場合、前作から23年という長い年月を経て続編が登場した上、前作とは全く異なる新しい構成で、まさに新しいゲームという印象を受けます。一方、王涙は前作【ゼルダの伝説 - ブレス オブ ザ ワイルド】からバルゲ3ほどの時間が経っておらず、いろいろと進化し、新しいシステムも導入されましたが、やはり前作の「拡張版」という印象を拭えなかったため、惜しくもバルゲ3に押されて2位に落ち着いたようです。もし、【ゼルダの伝説 - ブレス オブ ザ ワイルド】が2023年にバルゲ3と対決していたら、結果はどうなったか分からないですね。

     

    https://www.youtube.com/watch?v=-MEo1tGalr0&ab_channel=Nintendo%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

     

     人々がこの2つのゲームに熱狂した共通の理由として大きなものがあります。それは「自由度」です。ゲームを設計する際、最も複雑で、頭を悩ませる部分がこの自由度です。ゲームの自由度やジャンル設計を大きく2つに分けることができます。一つは「離散量」、もう一つは「連続量」です。少し難しい用語に聞こえるかもしれませんが、以下で詳しく説明します。

     

    最近の子供たちはこの圧倒的な自由度を自慢するゲームからスタート

     

     まず、「離散量」とは、決まった数の流れを意味します。自然数のみを扱い、正確に数値計算ができる範囲のことです。ゲームでは、通常「(無限ステージではない)パズルゲーム」、「ボードゲーム」、「ビジュアルノベル型ゲーム」、「クイズゲーム」などが代表的です。囲碁、将棋、五目並べ、オセロ、ドキドキ文芸部、古のフェイト、上海麻雀などがこれに当たります。簡単に言えば、範囲は広くても最終的には有限の範囲に収まるゲームと理解していただければと思います。

     

    このようなゲームが代表的な離散量ゲームですね。Justモニカ

     

     一方、「連続量」のゲームは、小数点やさまざまな変数を許容するタイプのゲームです。たとえば、「シミュレーションゲーム」や「テトリスのような無限ステージと変数が毎回存在するパズルゲーム」などがあり、勝敗の概念が明確ではなく、無限の選択肢が広がるゲームです。

     

    この部分を勉強する時の筆者の頭の中の想像図

     

     このようなゲームの自由度を大まかに説明しましたが、次は【バルゲ3】と【王涙】が追求する自由度の違いについて説明します。【バルゲ3】は「テーブルトークRPG」の略称である「TRPG」をコンピューター上で再現したもので、特に東洋圏では一部のマニア層が楽しむアナログのゲームです。プレイヤーたちはカフェや屋内、あるいは天気の良いテラスに集まり、テーブル上に自作のキャラクターシート、ワールドマップ、ルール&ストーリーガイドブックを広げて、ゲームマスター(GM)と共にRPGを進行します。自分だけのキャラクターを作り、ストーリーを与え、仲間と共に新しいストーリーを創造し、様々なイベントや戦闘の状況は6面体、12面体、20面体、100面体のサイコロの「確率」によって決定されます。現在存在する多くのデジタルRPGの起源はこのTRPGにあり、サイコロの結果を手計算で計算する作業をコンピューターが代わりに処理してくれるのです。

     

    【バルゲ3】は、このサイコロを振ってイベントを解決するTRPGの要素を少しだけ省略し、まるで「プロジェクターで進行するTRPG」のような感覚をプレイヤーに提供しています。

     

     

     実際のTRPGでは、ルールブックに基づいて大まかなストーリーの進行がガイドされますが、ゲームマスターの裁量次第で細かな部分に多くの自由度が与えられます。例えば、死者を復活させ傭兵として使える「ネクロマンサー」という職業を選んだプレイヤーが、ゲームの途中で墓地を発見して軍隊を作ることもできるし、クエストを与えるNPCを殴って倒してしまい、メインストーリーに影響を与えることも可能です。このような行動は、【バルゲ3】の中でほとんど実現可能です!もちろん、残虐性や暴力性、ゲームの進行の難しさなど、これらの演出が必ずしも良いとは限りませんが、自由度の高さは間違いなくこのゲームの魅力の一つです。

      例えば、社会的に非難を浴びた【GTAシリーズ】は、NPCを残虐に殺すことはできますが、その結果としてメインストーリーが変わることはありません。ただ単に「WASTED」の画面が表示され、ゲームが進行しなくなるだけです。しかし、【バルゲ3】はそう簡単に「GAME OVER」の判定を与えません!むしろ、プレイヤーが「悪」的な性格でのプレイを楽しむなら、それに見合ったストーリー進行やエンディングを準備しています。仲間のキャラクターを倒して全ての所有物を奪うこともできるし、悪役を自分のキャラクターにすることもできますし、逆に悪役を倒して英雄になることも、最終的に黒幕の味方となって正義の味方と戦うこともできます。これらすべてが【バルゲ3】で可能なのです。このような経験は、ストーリーの選択肢が「離散量」として有限であっても、まるで「連続量」の無限に近いストーリー展開を体験しているかのように感じられます。 だからこそ、プレイヤーたちは最初に正義の味方としてプレイし、次に悪役を体験し、悪役から改心してストーリーを進めるといった多様なプレイスタイルを試み、毎回異なる選択肢によって異なる台詞が登場します。しかも、その全ての台詞にフルボイスが付いているため、プレイヤーは「次はどんな新しいストーリーが待っているのか?」と好奇心をかき立てられ、ゲームを続けてしまうのです。さらに、ストーリー進行にはサイコロの確率も関与してくるため、ゲームにおける変数が無数に存在します。

     

    正直、ミンタラお姉さんと一緒に旅できるのに悪属性を諦めるもんかwww

     

     【王涙】は、ストーリー部分にはやや力を抜き、探索の「自由」に力を注いだことで知られています。【ゼルダの伝説 - ブレス オブ ザ ワイルド】の時からその途方もない可能性を示していました。【バルゲ3】の移動や探索もかなり自由度が高いとはいえ、【王涙】では【バルゲ3】が実現できないことが可能です。たとえば、周囲の物を自由に組み合わせて、本来渡れない氷の川を渡ったり、空を飛んだり、ロボットや戦争兵器を作り、モンスターたちの脅威になることもできます!しかし、【王涙】では周りのNPCを傷つけることはできず、メインストリームのストーリーに大きな影響を与えることはありません。物語は一つの童話を読むような感覚で進行します。ただし、その童話が4D級の立体感と体験感をプレイヤーに提供する点が違います。【王涙】の探索も、無理やり言えば「離散量」ゲームの範疇からは外れません。マップが無限に変化し続けたり、拡張され続けるわけではないからです。どれだけ新しく奇抜な選択肢が多数存在しても、結局は有限の範囲に収まるからです。

     

    タ。ダ。厄。災。

     

     ここまで読んでいただいたなら、【バルゲ3】と【王涙】はアプローチは違えど、共通の目的を持っていることがわかるでしょう。サムスンとアップルのように、アプローチは異なっても究極的には「自由度の高いスマートフォン」を作り上げるという共通の目標を持っているのと同じです。【バルゲ3】は連続量に近い質の高いストーリーの自由を、【王涙】は連続量に近い探索の自由を。それぞれの「自由」はプレイヤーに納得させられる形で提供されている点が、非常に重要なポイントです。

      余談ですが、ゲームの自由度が話題になると、もし自由度が本当に無限であったらどうなるでしょう?もちろん、【マインクラフト】がその良い例ですが、美少女恋愛シミュレーションゲームを考えてみてください。無限の自由度があれば、選択肢はなく、超高度なAIと一言一句チャットしながら進行するしかありません。一つ一つの文字に全て反応し、返答もまるで現実の人間のように無限の選択肢を持つ...いや、無限の自由度というならば、人間の口から出るはずのないパターンすら生み出さなければならないでしょう。例えば「こんにちは」と入力しただけで、キャラクターが「夢と希望の楽園があなたを待っています!」と言い出したら...それはもうゲームではなく、実際のZoomやDiscordでのデートのようなものです。そんなゲームの新作を作ることができるでしょうか?

      以前に【モブサイコ100 第3期】の投稿で触れたように、無限というのはブラックホールに似た性質を持っており、無限に飲み込まれてしまうとその本質を失ってしまうのです。これが無限の自由度の罠であり、逆説的に作品やゲームに「無限の自由」が与えられたら、それはもはや「ゲームではない何か」になってしまいます。 面白いことに、ゲームが成功するかどうかは「いかに無限のように見える有限の枠の中で、プレイヤーが考え得る最適な選択肢を高品質に用意できるか」にかかっていると言えるでしょう。

     

    PTSD製造ゲーム 。しかし、男性キャラクターが正直言ってあまりにかっこよすぎるので、ダメージは軽減される。なぜなら、自分をキャラクターに重ね合わせることができないからだ!

     

     以前、オフラインで今日の投稿に関連した話題が出たとき、私はこう言ったことがありました。「面白いゲームとは、連続量を夢見る離散量のゲームなのかもしれませんね」。とはいえ、読者の皆様には、連続量のように楽しみと喜びが訪れることを切に願っています。

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