*本記事の性質上、作品のネタバレが含まれています。ネタバレを避けたい方はご注意ください。
私の記事をいつも読んでくださっている方の中には、ある程度お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、私はこれまで記事で取り上げる作品について批判点を論じることはあっても、露骨に酷評したり、強い言葉で批判したりすることは避けてきました。なぜなら、私自身が制作陣や監督、原作者などに直接インタビューを行い、作品に込めた意図や演出意図などを自分の口で尋ね、聞いたわけでもない以上、あくまで私個人の見解に過ぎず、曲解が生じるのではないかと思っているからです。そのため、できる限り強い言葉は避け、「こうしていたらもっと良かったのではないか」という方向で記事を書いてきました。しかし、今回の細田守監督の新作[果てしなきスカーレット]は、どうにもならないほど、観ている間ずっと辛い作品でした。
https://www.youtube.com/watch?v=AIsVWhu4_Hs
作品はひとまずシェイクスピアの[ハムレット]をモチーフにしていることが色濃く見え、そこに主人公を王女スカーレットとし、死者の世界という異世界ファンタジー要素に現代の日本人まで加わるという、少し量産型異世界ファンタジーのような印象も受けますが、それでも[デジモンアドベンチャー]の劇場版シリーズや[時をかける少女]、[サマーウォーズ]、[おおかみこどもの雨と雪]などを世に送り出した、あの伝説的な細田守監督の作品なのですから、期待せずにはいられませんでした。もちろん、[バケモノの子]以降、[未来のミライ]や[竜とそばかすの姫]など、立て続けに本人らしい色が見えなくなり、無理のある演出やどうにも納得できないストーリーテリングなどで酷評を積み重ねてきた細田監督ではありましたが、それでもなお期待してしまうだけのブランドを持った監督でした。

ところが、いざ蓋を開けてみれば惨憺たるものでした。最初のデンマーク王室で繰り広げられる権力闘争を描いたプロローグまでは、これからどのような展開が繰り広げられるのだろうと期待できましたし、死者の世界へ落とされ、盛大に苦労するスカーレットの姿を見せられている間までは「何かあるんだろう」と思っていました。問題は、現代の日本人看護師「聖」と出会ってから本格的に始まります。

まず、死者の世界では死ぬと「虚無」となり、死体すら残らず、[アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー]のサノスのフィンガースナップと非常によく似た演出で塵となって消えていきます。そして果てしなく砂漠と荒野が広がり、死んでからもなお王女スカーレットをもう一度殺そうと兵士たちが襲いかかってきます。まずこの時点から首をかしげたのですが、聖と合流してからはこの場所を脱出するための旅に入り、彼らを襲撃するデンマークの兵士や盗賊たちに対して、聖は叫びます。「戦わないでください!」。ええ……そして剣や槍を持って襲ってくる人間たちをスカーレットが剣で制圧し、殺そうとすると、聖が邪魔……をします。ところが当の本人には戦闘能力がないので、盗賊や兵士に何度も捕まり、相手から戦意を失わせるような制圧すらできない……そんなキャラクターです。あ、もちろん、スカーレットとの戦いで負傷した相手まで治療して世話をする姿については、現実の戦場にも条約がありますので、そこ自体は理解できます。しかし、まるで世間から隔絶され、世界史や歴史などを教養としてすら学ばず、ひたすら医療知識だけを身につけてきた、ある意味では何かが深刻に欠落しているキャラクターのように見えました。

そしてその後、いったいどこから調達したのか分からないラクダや野菜、小麦の生地を次々と取り出すキャラバンが登場したかと思えば、[リロ&スティッチ]にでもなりたかったのか、突然ハワイアンと思われる人々と伝統舞踊を踊り、さらに突然、スカーレットを殺そうとした王であり叔父でもある男が、家臣と軍隊を引き連れてこの死者の世界へやって来て、豪華絢爛な宮殿を建て、死者たちを惑わせる場面まで出てきます。そろそろキャラクター性がおかしいとか、「突然なんでこんなことを?」という唐突な演出どころではなく、そもそも設定自体が何なのか分からないシークエンスが連続して通り過ぎていき、没入感がどんどん蒸発していきました。それでも、後で何か間接的にでも説明してくれるのかな?と思いながら観ていました。

すると今度は、スカーレットと聖の二人だけで荒野の真ん中に野営し、聖がキャラバンから別れのプレゼントとしてもらったリュートを弾き始めると……[野原ひろし 昼メシの流儀]アニメ版のオープニングを彷彿とさせる「渋谷駅領域展開」を発動し、インド映画も真っ青なダンス演出を見せながら、二人の距離が縮まります。この辺りで理解することを諦めました。

突然背景が変わり、スカーレットの叔父の軍隊と、「まだ見ぬ場所」と呼ばれる場所へ向かおうとする市民たちとの大規模な戦闘が始まります。とんでもない数の群衆エキストラを3Dトゥーンレンダリングで描いているのですが、グラフィックカードが限界を迎えたのか、この場面ではラグったゲームのようにフレームがガクガクと途切れます。いくら何でも劇場公開するアニメーションなのに、こうした部分をチェックできなかったのか、あるいは解決策を見つけられなかったのかと思ってしまうほどです。そしてまた突然、兵士たちが物量で押され、もう止める者もいなくなり、皆そのままモルドールへ指輪を捨てに行くフロドのように、盲目的に火山を登っていきます。火山が噴火し、溶岩に飲み込まれ、まるでポンペイを連想させるような焼け死んだ死体を何度も強調して見せるのですが……いや、確かこの世界では死んだら塵になって消えるんじゃなかったんですか? わざわざそのグロテスクな焼死体の場面をなぜ何度も見せるのか、設定としても矛盾していますし、理解するのが難しかったです。

そして、第一のクライマックスがやって来ました。スカーレットを追跡していた王の配下である金髪二人組が、滑稽な道化師のような口調と動きでスカーレット一行を阻みます。ところが突然、盗賊まで治療し、戦わないでと叫び、スカーレットに盛大なトロール行為までしてきた、[ハクソー・リッジ]ですらここまでではないレベルの非暴力主義者・聖が、いきなり自分の矢を手に取り、「Be殺傷主義者」となって金髪二人組を刺し殺します。ところが、本当になぜ殺すのかについての直接的・間接的な説明がほとんどありません。単純に聖がこの死者の世界へ来ることになった経緯をほんのわずかに見せるだけなのですが、現代日本の街を仲間たちと歩いている途中、幼稚園児の集団を見かけ、その子たちを追う血のついた包丁を持った不審者を人混みの中で目撃する場面ばかりを延々と見せられます。いったいこれと、聖が突然殺傷行為に及ぶ理由がどう結びつくのかまったく分からず、没入感が完全に崩壊しました。ようやく自分が死んだ理由を理解して、同じ過ちを繰り返さないためなのか、それともここまで来てスカーレットを死なせるわけにはいかないからなのか、どれ一つとして推測すらできず、説明もされず、物語の因果関係はすべて支離滅裂に散らばってしまいました。本当に何を語りたいのか、何一つ分かりません。

そしてついに、最後となる第二のクライマックス。[鋼の錬金術師]の「真理の扉」に似た雰囲気を漂わせる扉の前で、叔父とスカーレットが対峙します。最後になって叔父を許すべきか迷うスカーレットを力でねじ伏せ、結局は悪だったということを見せつける叔父と対峙するシーン。本当に細田監督は[ハムレット]を書きたかったのか、ミュージカルや舞台劇を彷彿とさせるような大仰で古めかしい台詞を、二人が休む暇もなく延々と吐き続けます。互いに互いの命を脅かしている状況、いや、それ以前からすでに壊れるだけ壊れていた没入感のおかげで彼らの台詞にも何の感慨もなく、間抜けな叔父と姪二人による退屈な舌戦を眺めることに疲れてきた頃、作品序盤から空を飛び回っていた、何の説明もなかった剣の刺さった竜が突然雷を放ち、叔父を殺します。はい、まさか古代ギリシャ演劇さながらのデウス・エクス・マキナをここで見ることになるとは夢にも思いませんでした。つまり、スカーレットの父親が死ぬ直前に言ったと思われる「叔父を許せ!」という言葉と、聖のファッション不殺主義に感化されたスカーレットは何もしなくても、空を飛んでいる竜が勝手に電気焼きチキンにしてくれるから、よかったね!ということなのでしょうか? 本当に劇場で両目をぎゅっと閉じてしまい、思わず声に出してため息をついてしまいました。頼むからエンドロール後に何か、何でもいいからあってくれと思いましたが、ただ聖は残念ながら塵となって飛んでいき、スカーレットは突然、この世界の管理者か観察者のように見える老婆から贔屓され(実際、作中序盤でこの老婆が露骨に助けてくれます)、復活して幸せにデンマークを治めました! おしまい! とエンドロールが流れます。

わあ! 本当に何か褒められるところを探そうとしても、あまりにも難しいです。3Dグラフィックや人物の表情描写が素晴らしい? なんということでしょう。直前に観た作品が[劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章]と[劇場版『チェンソーマン レゼ篇』]だったせいで、私の目が肥えすぎてしまったのでしょうか? アクションもPVではとてつもない規模の大アクションシーンを見せてくれるように思わせておきながら、肝心のその場面はフレーム落ちが散々発生する不安定なシーンで、スカーレットが盗賊団と少し戦い、それすら聖が邪魔をするというパターンなので、特に何もありません。また、生前の世界では2Dグラフィック、死者の世界へ来てからは3Dで表現されるため、細田監督が[サマーウォーズ]や[バケモノの子]などで見せてきた、独特の残像を残しながら戦う迫力満点の作画演出もすべて消えてしまいました。もはや、この作品のどこに細田監督のオリジナリティが入っているのかを見つけることすら難しかったです。強いて言うならば、「女性キャラクターが大きく口を開けて、独特の『あああああ!』という叫び声を上げる演出」が入っていたことで、彼のシグネチャーを確認することはできましたが……日本語オリジナル版でスカーレットを演じた俳優の方は、他のアニメーションへの出演経験こそあるもののプロの声優ではないため、「うわ、演技上手い!」という感じではなく、「耳が痛くなる何か」に聞こえてしまいました。しかもこの場面が、作中で本当に耳を休ませようとするたびに飛び出してくるので、この辺りまで来るともはや拷問のように感じられました。あまりにも耳が痛く、ぎこちない悲鳴だったので、観ているのが辛かったです。

デジモンの頃の壮大さ、[時をかける少女]の頃の切なさ、[サマーウォーズ]の頃の躍動感、[おおかみこどもの雨と雪]の頃の心理変化を描く魔法、[バケモノの子]の頃のアクション性。そのうち一つだけでも見せてくれればいいので、どうか昔の細田守監督に戻ってきてほしいと、切実に願います。
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