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日本語訳/映画コンテンツ

「劇場版 チェンソーマン レゼ篇」―「鬼滅の刃」とはまた違う形のドーパミン爆弾―

G.Mario 2026. 6. 28. 21:25

※本記事の性質上、作品のネタバレが含まれています。ネタバレを避けたい方はご注意ください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=pv8A7eubPQQ

 

 日本のアニメ映画の勢いが、とんでもないことになっています。『劇場版「進撃の巨人」』から『鬼滅の刃』、そして今回の『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』まで、なんと3連発です。もちろん、この中でも『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章』の人気は、本記事を投稿する時点でも天井知らずに伸び続けていますが、それにもかかわらず『チェンソーマン』が見せている底力も凄まじいものがあります。9月末から10月にかけて、TOHOシネマズ公式の週末観客動員指標では、『チェンソーマン』が1位、『鬼滅の刃』が2位を記録しているそうです。『鬼滅の刃』は2025年8月公開ということもあり、観たい人の大半がすでに観終えている時期なので、一定期間内の動員数では不利になる部分もあるでしょう。それでも『チェンソーマン』が『鬼滅の刃』と競いながら凄まじい成績を残せたのは、やはり作品そのものが圧倒的な面白さを保証しているからだと思います。

 

公式チャンネルの発表によると、3週連続1位を達成したそうです!

 

『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』(※以下、『レゼ篇』)は、『鬼滅の刃』との共通点を持ちながらも、『鬼滅の刃』とはまた異なるアニメーションならではの競争力で、強力なチケットパワーを見せています。どちらも原作のある作品の「物語の途中に位置するエピソード」を劇場映画化したものであり、オリジナルストーリーではありません。かといって、テレビアニメの総集編でもなく、公開時点では映画館へ行かなければ内容を確認できない、劇場用の新作アニメーションです。つまり、ストーリー自体はすでに原作漫画で知られており、劇場で観ずに待っていれば、いずれDVDやBlu-ray、あるいは配信サービスでも視聴できます。そのため、劇場でチケット収益を得るうえでは、「映画館という空間で、どれだけアトラクションを楽しめるか」が、興行を左右する重要なポイントのひとつになったはずです。

 

マーティン・スコセッシ監督がマーベルを批判した時の話ではありませんが、今の映画館は、こういうアトラクション映画でなければ厳しいのかもしれません。

 

 そして制作陣は、そこを確実に突き、文字どおり「爆発」するアクションを見せてくれます。『レゼ篇』のキーワードをたったひとつに絞るなら、やはり「爆発」という言葉が一番しっくりきます。作中では凄まじい「爆発」シーンが描かれ、「爆発的」に恋をし、観客には「爆発的」なドーパミンを与えます。声優陣の演技も、後半に「爆発」する戦闘シーンにふさわしい凄まじい熱演であり、ヒロインであるレゼの作画もまた「爆発的」である、と言えるでしょう。

 

もちろん、レゼだけでなく私服姿のマキマも愛です。

 

 作品の構成が非常に繊細に組み立てられている点も印象的でした。主人公デンジにとって人生の目標そのものと言ってもよい、美人上司のマキマが、突然デートに誘って映画館へ向かいます。ひたすら映画を観て、カフェで簡単な感想を語り合い、また映画を観る。社会経験も文化的な経験もほとんどないデンジにとっては、ほぼ拷問のような時間だったはずですが、最後に観た「一番難解で人気のない映画」のクライマックスで、マキマと一緒に涙を流します。劇場版の物語が始まる直前まで、デンジは一緒に働いていた仲間が死んでも涙ひとつ流れず、自分には心がないのではないかと疑うほどでした。しかし映画館を出た後、マキマは非常に含みのある言葉で、デンジにも心があるのではないかという可能性を示し、二人のデートは終わります。

 

??? : 「それ、不整脈だよ。不整脈!」

 

 そうしてデンジが、自分にも心があるのかもしれないと思った直後、今度は最高の美少女・レゼと偶然出会います。そして映画は、二人がカフェや学校で時間を過ごし、本人たちも気づかないうちに互いへ恋をしていく姿を描きます。デンジにとってマキマは、まだ異性というよりも「達成しなければならない目標としての存在」に近く、レゼは「異性との本当の恋愛」に近い存在として描かれています。特に、本作の重要な場面のひとつである、学校のプールで二人がすべて脱ぎ、レゼがデンジに泳ぎ方を教えるシーンでは、エロス的な愛を表現しながら、同時にプラトニック・ラブも成立させています。そしてその後、レゼが自分の正体も、任務も、置かれている危険な状況もすべて投げ捨て、デンジのもとへ走っていくアガペー的な愛へと、映画は非常に滑らかにつなげていきます。

 

レゼがどうしてデンジを好きになれたのか。その説得力は、この「モイスチャー・デンジ」の一枚だけで、ほぼすべて確保できている気がします。

 

 特に、学校へ通ったこともなく、泳ぎ方も知らないデンジに、レゼが水泳を教える場面には、非常に多くの意味が込められていると言っても過言ではありません。水の中は、人間がとても「自由」な感覚を得られる場所です。幼い頃に家族を失い、ヤクザの命令に従うだけの人生を送ってきたデンジは、そもそも「自由」とは何かを知りません。しかし水の中では、人間は長く生きることができず、泳げなければ窒息して死んでしまいます。そこでレゼは、水中の自由を享受するための方法である「泳ぎ方」を、デンジに教えるのです。それも、お互いに下着まですべて脱ぎ、何ひとつ隠していない状態で。そして学校の場面に続く夏祭りの花火大会で、レゼはデンジに、一緒に逃げて「自由になろう」と持ちかけます。しかし、まだ自分の目標を達成していないデンジが迷いを見せると、レゼはついに本性を現します。デンジの人生の目標は「幸せになること」であり、自由と愛、そして自分が追い求める目標という三つの葛藤は、作中の中心的なモチーフである「田舎のネズミと都会のネズミ」へと集約されていきます。

 

むしろ自由を享受する方法を知らなければ、その自由は息苦しく、ただつらいだけのものになってしまうのかもしれません。

 

 そして、そこから始まる待望の戦闘シーン! 休む間もなく押し寄せる戦闘は、まるで『ジョン・ウィック』シリーズを思わせるほど、息つく暇もない勢いで展開していきます。さらに、最高の好感度キャラクターであるサメの魔人・ビームの活躍と、台風の悪魔の介入によって、戦闘のスケールは次第に拡大していきます。途中で多少の緩急がつけられることはありますが、それもインターバルトレーニングをしている人が、セットとセットの間にほんの少し休憩する程度です。すぐにレゼの爆発音とエフェクトが、再び映画館全体を埋め尽くします。むしろ『鬼滅の刃』の劇場版に対して聞かれることのある、「少し戦い始めたと思ったら回想が始まり、その回想が長すぎる」といった不満が、絶対に出てこないように完全封鎖しているのではないかとすら感じました。

 

こうした、フレームの途中に挟み込まれる、アニメーションだからこそ成立する表現がうまく溶け込んでいます。

 

 作画と演出は、それぞれまったく異なる方向を向いています。しかし、どちらもその方向性を極限まで突き詰めることで、観客のドーパミンに対する欲求を満たしているように見えました。『鬼滅の刃』の場合は、「アニメーションで見せられるものは、すべて見せてやる!」という執念すら感じられます。激しく変化し続ける無限城の立体的な構造とキャラクター同士の戦闘が、一コマ一コマ、劇画調の漫画のように隙なく描き込まれ、エフェクトが画面全体を埋め尽くします。まるで一本のディズニー作品を観ているかのような、圧倒的な躍動感と描写力でした。

 一方で『レゼ篇』からは、「アニメーションだからこそ可能な演出と、省略によって生み出されるスピード感を、極限まで研ぎ澄ませる」という方向性が見えてきます。近い例を挙げるなら、『鋼の錬金術師』の戦闘シーンや『NARUTO-ナルト-』、そして宮崎駿が手がけた『ルパン三世』のような立ち位置でしょう。『鬼滅の刃』とは異なり、動画に合わせてキャラクターの形を大胆に崩したり、単純化したりします。さらにコマを微妙に抜き、カット同士をつなぐことで、まるでキャラクターが瞬間移動しながら戦っているように見せつつ、動きの線そのものは途切れさせないという視覚効果を生み出しています。両作品とも「アニメーション」というジャンルの技法を最大限に生かし、映画館そのものをひとつのアトラクション空間へと変え、観客の視界に大量の情報を一気に流し込みます。『鬼滅の刃』は、乱れがなく理解しやすい情報を大量に与えることで、脳に過度な負担をかけることなくアトラクションを体験させます。それに対して『レゼ篇』は、アニメーションだからこそ生み出せる錯覚や省略を、脳が自然に補完するように設計することで、また別の種類のエンターテインメント感覚を味わわせているように見えました。

 

『レゼ篇』総評:レゼはかわいい。マジで。

 

 このように、映画館を取り巻く状況が厳しいと言われることの多い2025年、その映画館を支えるダークホースとして、日本のアニメ映画が新たな興行の構図を作り出していくのではないかと、慎重ながらも予想してみたいと思います。