※本ポストの性質上、作品のネタバレを含みます。ネタバレを望まれない方はご注意ください。
『パラサイト 半地下の家族』以来、久々に巨匠ポン・ジュノ監督の新作が来ました! その名も『ミッキー17』! 演技力も美貌も絶好調のロバート・パティンソンが主演ということで、今回もどんな“ポン・ジュノ・マジック”を見せてくれるのか、予告編だけでも期待が高まるんですよね。テーマが「複製人間」という時点で、ポン・ジュノ監督ならではの奇想天外な演出が待っているのでは? と。
https://www.youtube.com/watch?v=tA1s65o_kYM
…なんて思っていた時期が私にもありました。フタを開けてみると――結論から言えば、過去作の要素をオマージュしながら寄せ集めた、“ポン・ジュノ監督のファンの誰かが作った作品”のような手触り。つまり「映画として出来が悪いのか?」と問われればそうではないのですが、「これはポン・ジュノ監督の映画なのか?」「“ポン・ジュノらしさ”を期待して観ていいのか?」という問いには首をかしげてしまう――そんな作品です。

まず本作には『スノーピアサー』『パラサイト 半地下の家族』『グエムル -漢江の怪物-』『オクジャ/okja』などで見たような要素がオマージュ的に顔を出します。『スノーピアサー』のような統制社会で、上位階級は統制の外にいる不条理さ。『パラサイト』のように隔絶した階層間のコミュニケーション不全。『グエムル』のように未知の生物への敵意と、それを巡る知識人たちの過剰な解釈。『オクジャ』を思わせる料理シーンや、一つの命を守るための死闘……と、あちこちに要素が散りばめられています。さらには『殺人の追憶』のように、未解決のまま残りそうだった“クローン創始者”のサイコパス的な側面を見せつつ、最終的な処分を明かさないまま場面が流れていくなど、「ポン・ジュノ作品を熱心に観てきた人が、監督を称えてオマージュを詰めた」印象を受けました。

ところが、「本当にポン・ジュノ監督が作ったの?」と首をかしげる点が多いのも事実。ポン・ジュノ作品の凄みは、まず“物語の骨組みが教科書級にガッチリしている”ところです。まさに起承転結の運びや、転・結で神域に達する空気の反転演出は『パラサイト』で顕著でしたよね。逐一説明しなくても、カメラワークや背景、小道具、人物の所作、短い台詞に社会現象を織り込む脚本など、さまざまな妙手で、“スピードワゴン”役なしでも物語の要点を鮮やかに解き明かしてくれます。

ところが『ミッキー17』は、やたら細部を説明しようとする一方で、観客が知りたい部分は個人的には“要らない”もので埋めて素通りしてしまう。さらに、作中で積み上げてきたビルドアップや演出が、後半で共感に結びつかない形に流れていくのも、非常に“ポン・ジュノらしくない”と感じました。例えば『パラサイト』なら、序盤から「匂い」というキーワードと伏線を適切に配置し、最後にその「匂い」が引き金となって極端ながらも納得せざるを得ない帰結を見せる。『ミッキー17』にはそれがないのです。

物語の舞台は、“トランプ”や韓国のある大統領を連想させる“指導者夫妻”と、その忠実な支持者たちで構成された、救いようのない移民船団。もちろん、中には彼らの支持者ではなく、主人公や相棒のティモのように、どうしようもない人生から抜け出すために応募した人々もいたのでしょう。

ところが主人公は船団に乗り込むや否や、突如エリート層寄りの女性とラブラインに。ロバート・パティンソンのルックスが説得力だ、と言われればまあそうなのですが、あまりに唐突に恋愛し、しかもかなり長尺で関係描写を見せます。その一方で、主人公の役割である“エクスペンダブル(使い捨て要員)”がどれほど蔑まれ、人間以下に扱われているかも丁寧に映す。発達したプリンターで肉体を造り、記憶を“レンガ”にバックアップして新しい肉体に移し替える――理屈の上では命が無限の彼がどれだけ“道具”扱いされるかを見せるのに、そんな主人公をなぜ愛するようになったのか、明確な描写も伏線も、その回収もなし。愛に理由はない、と言ってしまえばそれまでですが、分量がかなり長い上、後半になると“デウス・エクス・マキナ”のように乱用されてしまうので、首をひねってしまいます。

ヴィラン像もどうでしょう。ポン・ジュノ作品には、珍しく『殺人の追憶』を除けば“ヴィランと断じられる人物”がほとんどいません。『グエムル』冒頭の米軍の命令権者は、あのホルマリンが怪物誕生の直接原因とまでは言い切れず、最も近いけれど確定はしづらい。『スノーピアサー』の“総理”やウィルフォードも、ある意味では無賃乗車のテイル(最後尾車両)の人々をも抱え込もうとしていた側面があり、『オクジャ』は“商売と契約の履行”をしようとしているところへ、主人公の少女がむしろ契約破棄に動く。『パラサイト』の富裕家庭も、行いに眉をひそめる瞬間はあれど、決して“悪役”ではありませんでした。ところが『ミッキー17』のマーシャル夫妻は、やってはいけない犯罪行為を自ら実行し、人権を無視し、止められていることばかりを選んで共同体全体を危機に陥れる寸前まで進める。結果、「ただ頭が弱いから?」と感じてしまうほど、過去作の人物たちに抱いたような複雑な共感を呼ばない、平板なキャラクターに落ちてしまいました。

そして対立の収束でも、仕事のできる委員会の治安担当アジア系職員が唐突にマーシャル夫妻へ反旗を翻す、幻覚性物質を吸っていた主人公の恋人がいきなり委員長になって善政を敷く、惑星のクリーチャーたちとは驚くほどすんなり意思疎通して問題なく交流が進む、主人公を死の淵まで追い込んだティモはほぼマクガフィン扱いで退場……と、どれ一つとして納得のいく整合性を示さないまま、映画は幕を下ろしてしまいます。

また、映画を通じて間接的に社会批判をしてきた作家性も、今回は理解しがたい説明の仕方でした。トランプ政権1期の終わりに、熱狂的支持者たちが米連邦議会議事堂を不法占拠して国の根幹を揺るがした事件は記憶に新しいですよね。本作ではマーシャル夫妻を露骨に現代史の独裁者的存在に見立て、その信奉者たちもトランプ支持層風の装いで描くのに、最後の委員会の会議で「説得に本当に苦労した」みたいな一行でさらっと片づけて終わるのは、実に不可解でした。新規流入がほぼない植民惑星で、過激な支持者が多数派、しかもマーシャルの妻がまだ生きている状況で、あまりにも簡単に対立が解消されてしまうのです。

もちろん『ミッキー17』はポン・ジュノ監督の“オリジナル”ではありません。原作小説のあるトランスメディア作品です。とはいえ、『スノーピアサー』のように“ポン・ジュノの味”を効かせることに成功した例もある中で、今回はそのテイストが抜け落ちてしまった印象。――もし“ポン・ジュノ”ではなく、そのマルチの別個体“ポン・ジュノ18”が撮ったのだと言われたら納得してしまう、そんな映画だったのではないかと思います。
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