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  • 実写とアニメと特撮 : テーゼとアンチテーゼとジンテーゼ
    日本語訳/コンテンツについて 2024. 8. 1. 22:46

     今回は、コンテンツそのものについてお話ししたいと思います。作品そのものについて語るのも良いですが、時には作品を通じてコンテンツ全般について語ることも必要だと感じました。特に、コンテンツという巨大なカテゴリを私なりの考えを交えてお話ししようと思いますが、決して私の投稿が「私の言うことが正しい」という主張ではないことをお伝えします。ただ、面白い作品やコンテンツについて読者の皆さんと考えを共有し、一種のティータイムコンテンツとして楽しんでいただきたいのです。

     

    真のティータイムは戦車の中でも楽しめる

     

     

     今日の投稿のアイデアは、話題となったNetflixの『ワンピース実写版』やDisney+の『ロキ』など、いくつかの「実写版」と呼ばれるコンテンツを見て思いつきました。その他にも、数え切れないほど多くの作品がいわゆる「トランスメディア(漫画がアニメに、ドラマが小説になるなど、作品コンテンツの媒体が変わること)」として様々な方法でIPを語っています。今日の投稿以外にも、上記の作品や他の作品についても引き続きお話しする予定ですが、今回は「トランスメディア」と映像媒体そのものについてお話ししようと思います。

     

    非常に面白く視聴中です!

     

     本格的に話を始める前に、ドイツの哲学者ヘーゲルが定義した弁証法、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼについて説明しておこうと思います。まず、テーゼ(These)は命題そのもので、通常は「定(定)」と言います。すでに頭が痛くなりそうな方のために、今回の投稿限定で「基本的に存在するもの」とします。そしてアンチテーゼ(Antithese)は反対の「反(反)」、テーゼの正反対の位置にあるもので「基本的に存在しないもの」と仮に説明します。最後にジンテーゼ(Synthese)は合致する「合(合)」、両者の概念を合致させたり同時に進行させる「ハイブリッド」と説明し、それぞれ実写、アニメ、特撮に当てはめて説明しようと思います。つまり、この投稿はヘーゲルの弁証法について語るのではなく、その弁証法の論理と概念をコンテンツジャンルに応用して語ることが目的です。

     

    この曲のタイトルである「残酷な天使のテーゼ」のテーゼがこのテーゼです。

     

     まず、テーゼの役割を果たすのが、私たちがTVで日常的に見るドラマ、バラエティ、ドキュメンタリー、ロマンティックコメディなどの実写映像作品です。文字通り、特別な効果を作品のストーリーの根本には使わず、現実の姿そのままを映し出します。現実は有限であり、そのような実写映像作品はすべて、私たちの地球上に存在するすべての有限な概念の無数の組み合わせによって誕生した結果物です。画面に映る俳優たちは皆、生きている人格として演技をしており、彼らが着ている衣装、セット、小道具はすべて実在するものです。

     

    ご覧になると、この中には現実に存在しないものはありません!

     

     しかし、アンチテーゼの役割を果たすのは「アニメーション」です。ある意味で私は、アニメーションや漫画、絵、空想小説などを「人間が生み出した最高に不自然なもの」と表現したいと思います。なぜなら、先ほど話したテーゼの役割を果たす実写は、この宇宙、この地球上にある何かの有限な組み合わせであるのに対し、映像媒体の中のアニメーションは「何も存在しない無限なものの組み合わせ」と言いたいからです。簡単に説明すると、アニメーションキャラクターの顔をそのまま持つ人は実在せず、そのキャラクターは声優が担当しているとはいえ、法的にも地球上には「概念としてのみ」存在する無形のものです。つまり、自然に存在しないものを人間だけが概念として具現化したものなので「不自然なもの」なのです。

     

    ご覧になると、現実には存在しそうに見えてはいるけれど、存在しないですよね。

     

     この原理から、人間は十分にアニメーションに魅力を感じ、夢中になることができます。表現の濃度は無限です。実写では撮影できないエイリアン、ゴジラ、惑星間の衝突、体内の細胞の活動など、どんな概念でも新たに創造して表現することができ、認識させることができます。現実では味わえない神秘さや斬新さ、新鮮さ、混沌などの感覚を簡単に得ることができ、テーゼでは感じられない楽しさを感じることができるのです。

     

    ??? : アニメーってなかなか思った通りには行かないものね? ??:そこが面白いんだけどね。

     

     次にジンテーゼの役割を果たすのは「特撮」と呼ばれるジャンルです。通常、[仮面ライダーシリーズ]や懐かしの[フラッシュマン]、[ベクターマン]などの戦隊ものが好きな方はこの特撮という用語に馴染みがあるでしょうが、実はCGがストーリー自体に少しでも大きく影響する場合、ほとんどが特撮の範囲に入ります。つまり、『ワンピース実写版』も、『ロキ』も、『スパイダーマン』も、『ウルトラマン』も、ポン・ジュノ監督の『グエムル』もです。必ずしもCGが入らなければならないわけではなく、1950年代に登場したゴジラのように実写の空間で自然に存在しない概念を合成して表現するだけでも特撮になります。アニメーションは紙や液晶上で、特撮はカメラで誕生するという違いがあるでしょう。

     

    韓国ではバッテリーの重要性を教える特撮

     

     

     特撮には様々な利点があります。実在する俳優の優れた演技力と人気を利用しつつ、実写ではとても難しいストーリーや素材を消化するのに非常に適しています。実写でしか見られない作品の面白さとアニメーションでしか見られない作品の面白さを融合させたものであり、1+1の2倍イベントの概念というよりは「色を混ぜる」という概念が適しています。実写が青で、アニメーションが赤なら、特撮は紫の感覚を持つ概念です。

     

    テーゼもアンチテーゼも生み出せないジンテーゼだけの極み...;つД`)

     

     だから、トランスメディアを行うときには監督たちは色々と悩むことになります(ここで「面白いコンテンツについての」話は次回の投稿「武器と盾論」でお話しします)。正解は一つではなく、監督たちは監督独自のルートを進み始めますが、「原作の味を最大限に生かす監督」と「媒体の移動に伴い作品自体を変形させる」監督などに分かれます。ここには正解はありませんが、不思議なことに「誤答」は至る所に存在します。トランスメディアで商業的に成功する作品は、最大限誤答という名の地雷を踏まないことから成否が分かれるようです。

     

    この...この地雷の味は?!

     

     代表的な誤答の一つとして、漫画やアニメなどの「アンチテーゼ」の世界の作品を「ジンテーゼ」の世界で表現しようとすると、新たに入国しようとするジンテーゼの世界がアンチテーゼを軽視する態度を見せたときや、「テーゼ」世界から来た俳優たちが自国の文化を他国に適用しようとすることで発生します。例えば、粗雑なCGがアンチテーゼだけが持つ斬新さを損なうことであり、アニメーション効果が溢れる映画に適応できず演技エラーを起こす俳優や監督のミスは、100なら99の観客に拒まれます。これ以外にも誤答地雷に見える要素はさらにありますが、日本で漫画やアニメの実写化が批判される理由は、誤答地雷を大いに踏んだ面があるからであり、アメリカの[マーベル・シネマティック]などが同じ漫画やアニメの実写化で相対的に批判されない理由は、地雷を巧みに避けているからです。この部分は後日さらに詳しく取り上げます。

     

    そう、この地雷そのものである君だよ君!!!

     

     今日は本当に頭が爆発しそうな話がたくさん出てきたかもしれません。しかし、今日のこの投稿はこれ一つで完結するものではなく、今後私が書く投稿で注釈(注釈)として使用する投稿であることをお伝えしたいです。今後の投稿でコンテンツジャンル媒体に関するテーゼやアンチテーゼについて話す場合、ほとんどこの投稿を基準に書かれたものであることを理解していただければ幸いです。

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