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[애니메이션]/이렇게 해석해 보았다

[戦隊大失格] - 不条理な世界に抗う時、もはや君はエキストラではない -

G.Mario 2025. 1. 24. 02:41

※本ポストの特性上、作品のネタバレが含まれています。ネタバレを望まない方はご注意ください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=CUiUxP1p7hI

 

 『呪術廻戦』アニメ第2期「懐玉&玉折編」の主題歌を歌ったキタニタツヤの新曲『次回予告』が、サイケデリックな雰囲気とともに流れ始めます。今の20代~30代世代が子供の頃に観ていた特撮戦隊シリーズ、『バイオマン』、『フラッシュマン』、『パワーレンジャー』シリーズ、『ベクターマン』などでは、かっこいいスーツとヘルメットを装着し、時には巨大な合体ロボットを呼び出して悪党や怪獣を倒す戦隊ヒーローたちを応援しました。歌詞を聴いてみると、かつての私たちは、やがて年を重ねて大人になり、戦隊ヒーローどころか、悪党が引き連れるザコ集団よりもさらに格下のエキストラに成り下がり、バンクシーンやクリシェだらけの昔の戦隊もののストーリーテリングのように、同じような日々を繰り返す自分たちの姿が描かれています。

 

とはいえ、このような落下が可能な時点でエキストラにはなれそうにありませんが…

 

 「来週の君は負け犬です」「20年後の君も以下同文です」という辛辣な歌詞が聴く者の心を鋭く突き刺します。それでも後半に流れる歌詞はこう続きます。「それでも続けよう。誰のために」。毒と薬を両方盛るような歌詞ですが、そんなループの中で前に進み続け、「次回予告」を「裏切ろう」と歌は呼びかけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=O3ZYjfMqAsc&ab_channel=%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%A4%2FTatsuyaKitani

キタニタツヤの新曲『次回予告』MV。背景に隠された歌詞を探す楽しみも満載です!  

 こうして主題歌が終わると、本作の本編が始まります。すでに地球を侵略した悪党たちは、正義の味方である「ドラゴンキーパー」戦隊によって壊滅的な打撃を受け、力を失ったザコ怪人たちだけが地上から落ちた浮遊城で12年間、命を繋ぎながら生きています。それでもやることがなければ無職になってしまうため、定期的にドラゴンキーパーが浮遊城を訪れ、一種のショーを強要します。なぜ「強要」なのかというと、従わなければ次々と抹殺されてしまうからです。こうしてザコ怪人たちは不条理な時を過ごし続け、一般市民たちはこの真実を誰一人として知りません。

 

皆、その隠された姿を知らないままですが、怪人を打ち倒したのは事実です。

 

 その中で、名前すらまともにない「戦闘員D」というザコ怪人の一人が、この状況に耐えきれず地上に降り、ドラゴンキーパーを転覆させるための微力ながらも偉大な一歩を踏み出します。いくらザコとはいえ、怪人たちが持つ「一般的な攻撃には無限再生が可能」というパッシブ能力や、戦闘員Dが特に発達させた「擬態」能力を駆使してドラゴンキーパー部隊の内部に潜入し、本格的なストーリーが始まります。

 

人間の姿に擬態した時のデフォルトビジュアル。ちょっと『はたらく細胞』の一般細胞(またはガン細胞…?)のデザインに似ています。

 

 本作は、私が投稿する作品の中でも、まだ放送中のものの一つであり、原作もまだ読んでいないため、これからのストーリーが楽しみな状況です。しかし、現在放送されている第4話までを観ただけで、この作品が非常に面白いコンセプトを持っていると感じ、この記事を書くことにしました。

 

私も幼い頃から戦隊ものが好きで、特にこういった「モブザコ」キャラが好きで、声真似をして遊んだこともあります。

 

 まず、平凡な主人公が偶然のきっかけで何らかの能力や協力者の提案を受け、不条理に立ち向かう作品は数多くあります。同じシーズンに放送中のライバル作品『怪獣8号』もそうですし、『僕のヒーローアカデミア』もその一例です。しかし、この『戦隊大失格』の最大の特徴は、悪役やヴィランが主人公となるジャンル、具体的には『ジョーカー』や『スーサイド・スクワッド』、『ペルソナ5』のような「ピカレスク」ジャンルに分類される点です。

 それも、普通のピカレスクジャンルといえば、魅力的なヴィランがカリスマ性を発揮し、ヒーローでは提供できない別の魅力を観客に与えたり、ストックホルム症候群的な共感を引き起こすストーリーテリングが一般的です。しかし、この作品では、体型以外はほぼ同じ(オリジナルの擬態姿がそこそこイケメンだとしても)、さらに他人の姿に擬態してしまう「エキストラ3」レベルの存在が主人公という点が特徴です。

 

彼らは、見た目一つで自分たちの危険な犯罪(結構危険です)を正当化するような感じです。

 

 ここでいくつか考えさせられることがあります。普通は、ヴィランが世界を支配したり転覆させるだけのカリスマ性や強力な能力を持ち、ヒーローたちと対峙し、派手な戦闘シーンを見せるものですが、この作品ではそうではありません。むしろ、サイコパスそのもののような性格を持つドラゴンキーパーたちの姿や、彼らが宴会するシーンですら、北野武監督の『アウトレイジ』のヤクザ映画を彷彿とさせます。そして、これらのヒーローたちが勝手に決めた「定義」を「正義」として「定義」し、それに従わなければ会話すらなく粛清される場面が描かれます。本当に誰がヴィランで、誰がヒーローなのか分からなくなるのです。

 

旅館で食事をする際、こんな風に並べられるかもしれませんが、構図が完全にヤクザ映画…

 

 これを現代の状況に当てはめてみると、私たち一介の市民は、社会を生きる中で様々な不条理を感じることが多いです。システムの不条理、過熱する競争を助長する不条理、上の者が決めたことだから仕方ないという不条理など。こうしたことに不満を持ち、抗おうとする姿勢を見せると、その抗う者を「悪」とする「不条理の創造者」たちが現実にも存在します。一見して誰が見ても明らかな、片方だけが不正な利益を得る不条理であるにもかかわらず、それに抗い正しさを追求することがむしろ「悪」として指弾される矛盾の構図です。

 

(※あくまで映画『ソウルの春』に限定したコメントです)まるでこのキャラクターのように、自分に逆らう者を悪と見なすような感じですね。

 

 だからこそ、この作品、そしてキタニタツヤの楽曲『次回予告』の歌詞は、こうした不条理にそれでも抗い、その連鎖を断ち切ろうと語りかけています。ただクリシェのように沈黙と傍観を続けると、それは永遠に繰り返されるだけです。しかし、やがて諦めてしまうと言われたそのクリシェを断ち切る瞬間、それはもう日常ではなく物語となり、社会という作品のエキストラだったあなたが、その瞬間から主人公になるのだと、この作品はメッセージを込めているように思います。

 

誰のために?

 

 最近の生活は本当に厳しいものです。どこで何が間違ったのかは誰も分かりません。みんなが理由を語りますが、それが全てではありません。ただ、戦闘員Dのように、その意志と行動を通じて、より良い作品、より良い世界を作り出そうとする叫びは、久しぶりに面白い作品を見つけた気分にさせてくれます。