[애니메이션]/작품속 철학, 이렇게 이야기 해 보았다

[姫様、拷問の時間です] – 魔族の拷問がペルソナを壊す!

G.Mario 2024. 12. 6. 00:40

https://www.youtube.com/watch?v=DErLryZLQb8&ab_channel=SHOPRO 

 

 

 古代ギリシャの仮面劇で、俳優がマイクの代わりに拡声器のように使っていた特殊な仮面の名前が「ペルソナ(Persona)」と言われています。最近では、セガとアトラスによる日本を代表するRPGゲームシリーズの一つである『ペルソナ』シリーズでもこの言葉がよく知られています。そして私たちの日常生活では哲学的な用語としてもこのペルソナが使われていますが、主に心理学用語としてペルソナがよく使われています。

 

実際にこの用語を題材にした『ペルソナ』シリーズ

 

 あの有名な心理学界の頂点とも言えるジークムント・フロイトの弟子であり、研究的な同僚でもあった「カール・ユング」が分析心理学で提唱した言葉がこのペルソナです。非常に簡単に説明すると、ペルソナとは「社会の構成員として生きるために自分の本質を隠す一種の心理的装置」とまとめることができ、例を挙げると、自分はホラー映画が嫌いなのに、恋人がこのホラー映画だけは一緒に見て欲しいと言ったために失望させたくなくて「ホラー映画が好きな人」のふりをすることや、貧しく価値のない現実を生きているにも関わらず、周りの人や知り合いに会う時、いつも堂々として積極的なペルソナを装って人と接することも例の一つでしょう。YouTuberやVTuberが配信でいわゆる「コンセプト」を設定して臨むけれども、配信を終了し、ベッドに横たわってスマートフォンを開く時には、すべてのペルソナを脱ぎ捨てて自分自身に戻るという感じです。

 

こういうV-tuberの活動も代表的な例ですね!

 

 ペルソナは決して「偽善」ではなく、社会を構成するために自然に作られた現象だとも言われています。しかし、問題は何事もやりすぎると問題が生じること。ペルソナがあまりにも厚かったり、社会に押しつぶされて自我を失う場合、あるいは幼い頃からの教育や環境によってどんな状況でもペルソナを外せないケースでは、心の病を引き起こしたり、目標意識が歪む可能性があるそうです。

 

自分たちの社会的地位のためにかぶったペルソナに食われてしまったキャラクターたちのことを描いたドラマ「スカイキャッスル」

 

 こうした状況の中、最近非常に面白く観た漫画原作のアニメ『お姫様、拷問の時間です(以下、「姫拷問」)』がまさにこのペルソナというテーマについて多くの考えを与えてくれました。まず、この作品を知らない方はタイトルだけを見て、「これ、怖い作品じゃないの?」「タイトルが刺激的すぎるのでは?」と思うかもしれませんが……実際は全く恐ろしいものではなく、純粋なギャグ作品であり、癒し作品です。「拷問」という言葉は「人間王国の秘密を一つ明かすまで目の前のハニーバターパンを食べられない」「秘密を一つ明かすと渓谷や海水浴場で遊べる」「最終的には魔族が自分から秘密を明かして姫と一緒にゲームを楽しむ」といった、コミカルさに満ちたものです。

 

タイトルとポスターの不一致からすでに作品のギャグオーラが見えます

 

 

 作中の主人公である姫(ちなみに、本名はアニメでは登場しません。誰もが単に「姫」、「姫ちゃん」、「お姫様」としか呼ばないためです)は、魔王軍との戦争中、自ら考え意思疎通が可能なエゴ(Ego)ソード「エクス」と共に魔王軍に捕らえられ、牢獄(とは言え外見だけのもの)で拷問を受け、人間王国軍の秘密を明かさなければなりませんでした。しかし、回を重ねるごとに、食拷問(?)を超えて、ビデオゲーム拷問、子犬と遊ぶ拷問、温泉を楽しむ拷問、遊園地に行く拷問、海水浴で水鉄砲遊びの拷問、魔王の娘のプチプチ遊び拷問、さらには魔王の娘の運動会参加……など、捕虜と拷問を名目にした癒しライフを満喫するというのが、この作品の主なストーリーです。

 いつも美味しい拷問料理や楽しい拷問遊びを満喫して幸せそうな姫に、聖剣エクスが小言を言いますが、そのエクスですら鍛造拷問(!)で屈服し、気づけば楽しんでいる姿を見せます。日本の漫才(漫才)ギャグでボケ役を担う「ボケ」と、そのボケを叱って笑いを引き出す「ツッコミ」の役割が当初は維持されていましたが、やがてその境界線すら消え、ツッコミもボケ役になっていくギャグ展開が繰り広げられます。また、以前の投稿でお話しした「整合性」や「リアリティ」をこの作品は全く気にせず、タイトルに挑発的なキーワードを入れたにもかかわらず、内容ではさらに挑発的に、中世の鎧をまとった姫がスウェットシャツとキャップを被りコーラを飲む姿を見せ、ギャグジャンルの極みを目指す演出が際立っています。

 

可愛さに耐えなければならない拷問だなんて…くっ!強すぎる

 

 ですが、ここで注目したいのは、拷問が始まるたびにお姫様が必ず口にするセリフです。
だいたい「私は王国軍第3騎士団の団長!どんな試練があってもすべて乗り越えてきた!」というような拷問に屈しないという宣言をしますが、結局はいつも屈してしまい、普通に幸せそうな女子高生または女子大生のような姿を見せます。ここで、彼女がどれほど強くなるために、そしてお姫様という地位にふさわしいノブレス・オブリージュを示すために努力してきたのかを垣間見ることができます。部下や国民の前では常に堂々としており、いざというときには犠牲をいとわず、気高い姿を見せるために、彼女が身に着けている重装甲のプレートアーマーのような厚い“ペルソナ”をまとっていることが分かります。

 

作中でも、フィジカル最強として描かれています。

 

 しかし、彼女の本質は同世代の女の子たちと何ら変わらない、純粋な少女でした。紅茶や高級デザートだけでなく、国民や部下たちの前では謙虚でいるために控えていた屋台の軽食も大好きな姿が描かれています。また、物語が進むにつれて明らかになる事実の中で、お姫様は人間世界では真の友達が一人もおらず、ただ守らなければならない対象、もしくは相手の心の内が分からず警戒すべき対象しかいませんでした。しかし、魔族たちとの間では拷問を口実に楽しく遊び、お互いの本心をさらけ出し、隠し事のない関係を築く友達がどんどん増えていきます。どんなに強力な剣撃や魔法でもびくともしなかったお姫様のペルソナは、真の幸福感と解放感、そして友人たちによって簡単に剥がされてしまうのでした。

 

布団が心地良すぎて溶ける中

 

 そんなわけで、作品を楽しんだファンたちの間では「これって実は魔王と国王が仲良くて、お姫様に休暇を与えるために裏で手を組んだんじゃない?」という冗談も飛び交っています。そして、これが完全にありえない推測ではないという根拠として、お姫様の回想にのみ登場する執事であり師匠である「ジモチ」というキャラクターが挙げられます。ジモチは、お姫様がまだ幼い頃から彼女に小さな逸脱や庶民的な楽しみを密かに教えてきました。しかし、お姫様が成長するにつれ、特殊部隊でも困難を感じそうな過酷な訓練や、強要されるノブレス・オブリージュ、心を許せる相手がいない状況が、彼女のペルソナを最終的には飲み込んでしまうのではないかとジモチが不安を感じた可能性もあります。こうして有能(作中で非常に強いキャラクターとして描かれています)なジモチは、国王または魔王と緊密に連絡を取り合い、お姫様がこれ以上ストレスを受けないように、しかし単なる休養では勘が鋭い(?)お姫様に気づかれてしまうため、「捕虜と拷問」を装い、彼女のペルソナを剥がし、飲み込まれないよう対策を取ったのではないか、という想像もできます。

 

はい、これが「拷問」を受ける「捕虜」と、その捕虜を拷問する専門拷問官たちの姿です。 .

 世の中を貫く格言の一つに「過猶不及(過ぎたるは及ばざるが如し)」というものがあります。何事もやりすぎは不足していることより悪いという意味ですね。ですから、「ペルソナ」も人が社会生活を送る上で必要不可欠なものですが、それが過剰になるとむしろ害になる可能性を示唆しています。そして本作は、ペルソナを脱ぎ捨て、リラックスして世界に向き合う方法を非常にコミカルで面白く描いている作品だと感じます。

 

実際、作中の主役拷問官である黒髪ショートのキャラクター「トーチャー」も、個人の休暇時にペルソナを脱ぎ捨てる姿を見せています。

 

 最後に、作中で一押しのキャラクターであり、何度も紹介しても足りない「トーチャー」の画像を載せて今回の投稿を締めくくります!