成功する作品の矛盾:新鮮の槍と共感の盾
読者の皆さんは、人生の中で「矛盾」という言葉や表現に非常に多く触れてきたことでしょう。世の中で何でも貫く槍と、何でも防ぐ盾を売る商人の話。では、その槍と盾が互いにぶつかれば、結果はどうなるのでしょうか?言葉通りに命題の矛盾が発生し、答えが出せない自己矛盾のジレンマに陥る有名な話です。ですから、日常生活でアイロニカルな状況が発生したり、論理がずれたり、以前に起こった出来事が今になって歪んでいる状態などを、私たちはよく「矛盾している」と表現します。
私はこれまでに数えきれないほどの作品を見てきましたが、人類が恐らく解決できない、そしてAIでも難しい課題の一つは、「最高に成功する作品」を作り出すことだと感じます。「面白い」というものは数学のように公式化することはできず、失敗するのは簡単ですが、成功するのは難しいのが創作です。制作の過程では面白いと感じたけれど、いざ完成してみたら全く面白くなかったり、視覚的や聴覚的には圧倒的だったのに、内容がなくて人気が出なかったりする話はよく聞きます。
しかし、作品を批評的な視点から見てみると、これは決して公式ではなく、真理には程遠いことを謙虚に申し上げますが、それでも私が数々の作品を見てきた中で、「成功する手法」について密かに気付いたことがあります。それは「矛盾の活用法」だと考えています。ただし、ここで私が言う「矛盾」とは、先ほどの「アイロニー」や「パラドックス」といったものではなく、本当にシンプルな「槍」と「盾」の意味です。すなわち、【新鮮さという名の槍】と【共感という名の盾】のことです。さらに興味深いことに、新鮮さと共感は互いに反対の概念であり、「共感できる新鮮さ」や「新鮮な共感」というものは、論理的には矛盾する表現になります。
余談ですが、なぜ多くの武器の中であえて槍と盾を選んだかというと、人類の「定型化された哲学を持つ」そして「本格的な」芸術が古代ギリシャ・ローマ時代まで遡ることができ、その時代から続いてきた手法が現代にも受け継がれているからです。また、ここで言う「矛盾」という表現にもぴったりです。さらに、新鮮さに伴うキーワードとして【新しさ】、【特異さ】、【カオス(混沌)】、【無からの試み】、【前衛的な】、【前に進む】が挙げられます。一方、共感には【馴染み深い】、【コスモス(秩序・調和)】、【有の再構成】、【後衛的な】、【ルーティン】、【受け入れる】が含まれるでしょう。そういった意味で、前進する直線的な概念を持つ「槍」と、受け止める概念を持つ「盾」を選んだのです。
しかし、ここで話が終わるわけではありません。正確には、槍と盾をうまく扱える「熟練者」がいなければ、この理論は完成しません。それは、作品内で「新鮮さ」と「共感」を適切に組み合わせ、適材適所に配置できる人たち、つまり新しい画風や演出、馴染み深い画風や演出を巧みに使い分け、絶妙なバランスで表現する監督や制作チームです。彼らが名を馳せる作品を生み出しており、両者のバランスが取れていない場合、失敗の公式に陥るという暗黙の流れがあるのです。
最も分かりやすい例として、ポン・ジュノ監督の【パラサイト】を挙げます。映画【パラサイト】は現代の韓国社会が抱える現実の一部をありのままに描き、最初から観客の共感を引き出します。制作陣が槍と盾を持った兵士ならば、観客はその兵士に向かって攻撃を仕掛ける不特定多数の存在です。全速力で駆けてくる観客をまずは共感の盾で防ぎ、反撃の準備をします。映画では、貧困家庭が富裕層の家に潜り込むという非常に新鮮な方法を描き、その中で密室に住んでいた謎の男性を発見するなど、予想外の展開と新鮮な演出で観客の後頭部を殴るような衝撃を与えます。既に、ポン・ジュノ監督の新鮮な槍で頭を貫かれたように、観客は映画に引き込まれていきます。
では、失敗した例を見てみましょう。昨年初めに発売されたゲーム【フォースポークン】を見てみましょう(PC文化に関してはコメントしません。ここではストーリーテリングと演出だけに触れます)。主人公は世の中に不満を抱いており、他者に対する礼儀やコミュニケーションすら難しい性格で、世間を憎みながらブランドのスニーカーを盗み、トランクには出所不明の紙幣が詰まっています。しかし、なぜ彼女がそのような性格になったのか、どうしてその展開が必要なのかといった説明がほとんどなく、プレイヤーは全く共感できず、ゲームへの没入感を失ってしまいます。
さて、【フォースポークン】の話でこの「矛盾」についての「矛盾」が発生しました。皮肉なことに、共感を得られないということは、ある意味では「新鮮だ」とも言えます。共感できない、共感したことがないということは「経験したことがないから」とも解釈できるからです。しかし、これには反論が可能です。新鮮さと共感は、単に「ないものを表現すること」や「あるものを表現すること」とは全く異なるからです。これを例えるなら、自分に向かってくる相手を槍と盾で防ぎ、突き刺さなければならないのに、槍と盾をただ置いて座っているのと同じです!槍には槍なりの「槍術」があり、盾もただ持っているだけでなく、相手がどんな武器を持っているか、動物なのか怪物なのか、魔法を使っているのか、そして自分の盾の大きさや形はどうなのかなどを見極め、適切に盾を使って防がなければなりません。この行為は、実際の作品で【反転】、【伏線】、【ビルドアップ】、【暗示】、【外的演出】、【起承転結】などのキーワードとして説明できますし、これが行われていない怠慢な作品や誤解した作品、あるいは何かを見落とした作品は、驚くほど大衆から注目されなかった場合が多々あります。
つまり、単に良い槍や良い盾を持っただけでは十分ではなく、状況に応じた槍と盾を選び、その槍と盾をアキレウスや呂布のように武神と呼ばれるほど巧みに使いこなす力量、この三位一体が成功への確実な道を占めると言えるでしょう。
もちろん、極端に槍や盾を扱う領域もあります。そしてこれも無視することはできません。まず「アヴァンギャルド(Avant-Garde)」ですが、これは先ほど述べた新鮮さの兄弟キーワード「前衛」です。これを英語にすると、皆さんもよくご存知の「ヴァンガード(Vanguard)」となり、簡単に言うと「先鋒」や「タンク」、「最前線」といった概念です。「アヴァンギャルド」という言葉は耳にしたことがあると思いますが、ここで簡単に説明すると、「誰もまだ試したことのない部分を表現する芸術手法」と考えると分かりやすいでしょう。ですから実際に「アヴァンギャルドのようだ」とか「アヴァンギャルド式」という形容詞がついた作品を見ると、とても特異であったり見慣れなかったりします。もちろんですが、芸術の「最前線」で誰も試みていないことを試す「無への挑戦」であるためです。これを矛盾の手法に例えるなら、盾をバックラーのように小さくして機動性を高めたり、あるいは盾を捨てて騎馬隊を防ぐ最前線の長槍兵のような感じで捉えてもらえば良いでしょう。
共感だけを極大化した「盾使い(防牌手)」のような作品には、主に「ドキュメンタリー」や「恋愛ジャンル」、「スタンドアップコメディ」などがあります。実際、盾はただ防ぐだけでなく、武器として使えるバージョンや、盾の内側に短剣などの暗器を隠すことができるバージョンも存在します。このような大きな共感の衝撃の中で最も有名なのが「カタルシス」と表現したいです。既に知っている感情だからこそ、笑いや涙、怒りなどの感情を呼び起こし、発散させることができるのです。しかし、ここで私が共感を槍で表現せず、新鮮さを盾で表現しなかったのは、槍一本を防御目的で使うことは非常に少ないですが、盾は攻撃にも使える点で、共感を極大化する作品には必然的に新鮮な要素が含まれるからです。ここで言う新鮮な要素は、「槍」の新鮮さというよりも、「変奏」というキーワードを使って説明したいです。同じメロドラマの話でも、明らかに先に出たA作品と後に出たB作品、どちらも共感できるロマンスムードであるものの、俳優が異なり、設定が異なり、恋に落ちる過程の直前まではA作品の「変奏」ともいえるような感覚を入れなければ作品が成立しないからです。変奏がなければ?ああ、それは「著作権違反」ですよね!!!
こうして、この論理法は一つ一つの例を挙げていくとほぼ無限に近い量が生まれてしまうため、今後投稿する作品で時折この投稿の内容を引用して使おうと思います。この部分については、私は引き続き研究を進めていくつもりですし、その研究が進展するたびに投稿し、皆さんと意見を共有していこうと思います。